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四天王寺の石鳥居(大阪市天王寺区) [大阪府]

ふとしたきっかけがあって大阪に旅行に行ってきた。ただ、メインの目的は大阪にいる友達に会うこと。彼はこの3月で現在の職場を退職し、東京へ戻ってくるという。それで彼が大阪にいるうちに、大阪を訪れたいと思い、激務に激務の奴隷労働をさせる濃厚ブラック職場を定時で退社するという奇跡を起こして、品川駅から東海道新幹線に飛び乗った。
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東京駅からやってくる「のぞみ」の自由席は結構込んでいたが、何とか座席を確保。
新大阪までの2時間半ほどを持参したタブレットで映画を見たり、スマホでネットサーフィンをしたりして過ごすという、仕事に追われている毎日から考えれば夢のような時間を過ごす。

初めて降りた新大阪。そこからJR神戸線に乗り換えて大阪駅へ。

これまで京都や奈良は行ったことがあるが、大阪は初めて。
大都会の大阪に興奮を隠せぬまま、友達と合流。

串カツを食べ、積もり積もった話に花を咲かせ、阪急電車に乗り、豊中市にある彼の自宅へ泊めてもらった。

そして翌日…

◆PART1 四天王寺を見ばや

朝はゆっくり起きて、出発。
友達とどこへ行こうか、という話になり、まずは定番ということで大阪城を見学。

その後、大阪と言えば「聖徳太子の創建された四天王寺を見てみたいものだ」と思って、天王寺へ向かった。

天王寺駅は阪和線の起点となる駅だ。至近には近鉄のターミナル駅である阿部野橋駅もある。

なお、天王寺駅から四天王寺へは徒歩だと10分ほどかかる。

歩いていく途中に「悲田院」という地名がある。

◆PART2 石鳥居

やがて四天王寺の西門に着いた。四天王寺は寺院であるが、大きな石の鳥居が我々を迎える。
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この鳥居は永仁2年(1294)に忍性によって従来の木造から石に作り替えられたという。
現存する鳥居で、中世のものというのは実は意外に少ない。このため、この石鳥居は平安時代建立の山形市成沢の八幡神社の石鳥居に次ぐ古いものである。

もっとも鎌倉時代の創建当時のものは現在は柱のみとなっており、他の部分は室町時代、江戸時代に行われた修理の際の後補であり、上部の島木(しまぎ)と貫(ぬき)の部分は木材を銅板で覆ったもので作られている。
1997~1998年の保存修理の際、この島木と貫の部分から大量の納入品が見つかり、これらは大阪市の指定文化財となっている。
中身は毛髪や火葬した骨の砕片、臍の緒、銭などでそれらを和紙で包んで、「南無阿弥陀仏」の名号を書いたものなどであった。

寺院に鳥居があること自体が現代的な感覚では奇異だが、この神仏習合の要素にさらに浄土信仰へのつながりが色濃いことが実に興味深い。

そう思いながら、今度は鳥居の上部に目を移すと…

鳥居には高さ1.5m、横1.1mの銅製扁額が掛けられている。
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「釈迦如来転法輪処当極楽土東門中心」と書かれている。
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貰ってきたパンフレットには、裏に嘉暦元年(1326)の銘があるとされるが、文字は昨今の復元によるものであろうか。
意味は「釈迦如来がお説法をしているところで、極楽の東門の中心にあたる」といったものであろうか。

現在でこそ都会的な光景の片隅に位置する四天王寺であるが、かつては大阪湾に沈む夕日を眺めるのに絶好の場所であったという。

極楽浄土は西方にある。西に沈む夕日を見ながら、極楽浄土を夢見る修行を日想観(じっそうかん)という。

浄土教や浄土信仰の根本経典の一つに観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)というお経があり、ここには事細かに極楽浄土の様子が描かれている。

この極楽へ往生する方法の一つとして、極楽浄土の様子を思い浮かべる、というものがあり、全部で16種類がある。日想観はその最初にあたる。

四天王寺の西門が極楽の東門にあたっているという信仰は、少なくとも中世期には確立していたらしい。
なお、森鴎外の『山椒大夫』の原典である説教節『さんせう太夫』に、太夫に追われた厨子王が四天王寺に逃れ、そこで貴族の養子となり、立身出世するという件がある。
その際、足のなえていた厨子王が四天王寺の石鳥居にすがると足がなおったというエピソードがあり、この石鳥居自体が信仰の対象となっていたことがうかがえる。

◆PART3 四天王寺と浄土信仰

なお、石鳥居のすぐ近くには「引導石(いんどうせき)」というものがある。
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引導とは、人を仏教の世界に導くことを言うが、一般的には死んだ人があった時、故人が迷わずに成仏できるように、僧侶が法語をもって導くことを言う。転じて「引導を渡す(=最終宣告をしてあきらめさせる)」という言葉ができた。

昔、人の葬式があった時、ここに棺を置き、無常院の鐘を三度鳴らすと、聖徳太子がここに現れ、故人の亡魂を極楽浄土へ導いたという。
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私はかつてこんな話を聞いたことがある。
雪深い北国において死者が出て、雪のため僧侶を呼ぶことも寺に送ることもできない時、黒駒太子(聖徳太子が愛馬の黒駒に乗っている図)の掛け軸を借りてきて、死者の上で2、3度かざすと、これで引導を渡すことができた、というものである。

聖徳太子と浄土信仰の結びつきは、昔から気になってはいたが、四天王寺にもそれは色濃く残るのか…?

◆PART4 戦後再興の四天王寺

四天王寺は日本最初の官寺とされ、法隆寺と同様、聖徳太子による創建と伝えられる日本仏教の最初期の寺院だ。
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だが、諸伽藍はすべて戦後の再建で飛鳥時代どころか、中心伽藍はすべて戦後の再建である。
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というのも、四天王寺は早くも平安時代には火災、戦国時代には石山戦争や大坂の役による兵火、江戸時代には落雷で焼失などの度重なる災厄で、古い建造物は悉く失われてしまったのだ。
もっとも昭和までは近世再建の伽藍が残っていたが、それも昭和9年(1934)に室戸台風で五重塔と中門が倒壊し、昭和20年(1945)の大阪空襲で中心伽藍は灰燼(かいじん)に帰した。
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現在の中心伽藍は昭和30年代に再建された鉄筋コンクリート造のものであるが、伽藍の配置はいわゆる「四天王寺式」の様式(金堂・五重塔の並列)である。

境内には一部に近世の建築が残っている。
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◆PART5 番匠名号

だが、四天王寺の境内で気になったは他にもあった。
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それは境内の数か所に立つ、この幟である。
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「南無阿弥陀仏」と書いてあるのだ。
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ここにも浄土信仰か…?
と思っていると、説明書きがあった。
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実は変わった字体には意味があった。
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どうやらこれは番匠(ばんしょう)名号(みょうごう)というらしい。

番匠とは大工のことである。
聖徳太子が法隆寺や四天王寺を創建する際、百済から大工を連れてきて、日本に大工技術を伝えたことから、大工の始祖として崇められるようになったことに由来し、大工道具で「南無阿弥陀仏」の名号が書かれた番匠名号ができたという。

今でも建築現場などで、工事の安全を願い、この幟がかかげられるというが…

そう言えば太子信仰は職人たちに多く、聖徳太子の命日である2月22日の太子講は大工や職人たちによって行われる。

聖徳太子とその信仰は奥が深い。
まだまだ知りたいことはいっぱいだ。興味がつきない。
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どうせ、近代に再建された寺院だろ…と思っていた、四天王寺。
しかし、実際に行ってみたら見どころが満載で、いろいろなことを知ることができた。

大阪の街も、四天王寺もまた行きたい。
この後、私たちは神戸まで出かけ、素敵な休日を過ごしました。

関西最高。今年は足しげく関西へ出かけるか。

(おわり)

■参考サイト
四天王寺西門石鳥居納入品(大阪市)
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